鹿の積ん読

漫画を読んだり、小説を読んだり。好きなものの話をします

真っ赤な嘘と青い春(石川博品「耳刈ネルリ三部作」)

 

 石川博品先生の「耳刈ネルリ三部作」の感想になります。一巻二巻のお祭り騒ぎももちろん素晴らしかったのですが、三巻から感じた「まつりのあと」の物寂しさが特に素晴らしかったです。

 

 一巻読んだ時点ではこんなエンドロールにたどり着くとは全く思っていませんでした。本当に全く。嘘と冗談にまみれたレイチの語りの向こう側に彼の誠実さや周囲の人間たちの可愛らしさが見え隠れする不思議な雰囲気は最初から(たぶん)あったのですが、それに気づいたのはおそらく二巻、もしかすると三巻を読み始めてからだったように思います。まんまとやられた形ですね。一巻なんかは特にそうですが、再読したらまた印象が変わりそうです。

 一巻で青春の始まり、二巻でその最中を過ごす少年少女の日々を描き、完結三巻で語られるのは青春の区切りとその先にある未来。未来、そしてまだ見ぬ明日のための約束。巣立ちのときを意識した最後の物語はもう戻らない青春時代への感傷に満ちていて、これを卒業後のレイチが回顧するという形式で語っていると思うとなんだか切なく、胸に響くものがありました。あんな馬鹿みたいなモノローグでおちゃらけてきた男がこんな風に、と。

 にしても、この不安定な設定下で十一組の面々がふつうに仲良くできることがどれほど素晴らしいか。彼らの背景を考えると、仲良くできる理由ってほとんどないはずなんですよね。生まれも育ちも価値観すらも、十数年かけて培ってきたあらゆるものが彼らを隔てているのに、それでも「同じ学校で学んでいるから」という言葉にすればそれだけの理由で仲良くできる。耳を刈るという風習を野蛮だと思ったとしても友人になれるし恋だってする。それがとても難しいことだと知っているから、三巻のエピローグについうるっときてしまいました。レイチの語りが落ち着いていて、ようやく彼の本心が(おそらくはほんの少しだけ)見えたのも感慨深く……。

 耳刈ネルリと十一人の一年十一組の物語の終わりに寂しさを感じていた僕は、kindleで「耳刈ネルリ拾遺」が買えるということで早速買って合間合間に読んでいます。電子書籍で文字を読むのが得意でないので本当にゆっくりとしたペースではありますが。めちゃくちゃ楽しい。もっと読んでいたい。

 というわけで耳刈ネルリ三部作、不思議で楽しく素晴らしい作品でした。石川博品先生、これからも追いかけていこうと思います。