あるいは気まずさの効用について(青崎有吾「早朝始発の殺風景」)
会話劇が好きです。さらに、シチュエーションがシンプルであればあるほどいい。というわけで「早朝始発の殺風景」を読んだ感想です。全編ワンシチュエーションかつ登場人物は最低限というストイックさ。楽しかったー。
青春は気まずさでできた密室だ――。今、最注目の若手ミステリー作家が贈る珠玉の短編集。始発の電車で、放課後のファミレスで、観覧車のゴンドラの中で。不器用な高校生たちの関係が、小さな謎と会話を通じて、少しずつ変わってゆく――。ワンシチュエーション(場面転換なし)&リアルタイム進行でまっすぐあなたにお届けする、五つの“青春密室劇”。エピローグ付き。
いわゆる「日常の謎」の系譜に連なる作品になると思います。始発電車で、ファミレスで、観覧車で、謎とさえ呼べないような小さな引っかかりに立ち止まる青少年。気まずさと爽やかさの塩梅がとても素敵でした。
「日常の謎」って、死人が出るようなミステリと比べるとやはり軽やかで、しかし決して軽薄ではなく、そのふわふわした余地・余白がたまらなく魅力的だと思うのです。
謎を解かなくてもいい。それでも誰も困らない。謎を見つけなくてもいい。通り過ぎたらそのまま忘れてしまうでしょう。答えを間違ってもいい。笑ってごまかしてしまえ。そういう遊びを許容してくれる青春という舞台だから、謎を解くという行為に当人なりのドラマや切実さが伴うのではないかと思うのです。卒業式に来なかったクラスメイトにアルバムを届けて、じゃあ元気でねと別れたって問題はなかった。というか、そうする人がほとんどでしょう。だって気まずいし、多分もう二度と会わないのだから。だけど彼女は謎を見つけた。謎を解いた。結果としてほんの少しだけクラスメイトのことを知って、素敵な思い出がひとつ増えた。それだけのことが素晴らしく、帯の惹句の通りに、彼女たちをとても好きになりました。
青崎有吾『早朝始発の殺風景』読了しました。
— 相沢沙呼 (@sakomoko) 2019年1月30日
『日常の謎』とは、日常の中にある謎を見つけ出し、掬いあげていくことだと思っています。それは、世界や他者をよりよく観察し、自分や相手を知って慮る行為に繋がります。
僕たちは、意識して世界を見つめようとしなければ、大切なことを見逃してしまうし聞き逃してしまう。僕たちが過ごしてきた『なにもない青春』は、本当になにもない青春だったのでしょうか。ただ、僕たちがなにかを見逃してきただけで、そこにはたくさんの感情や想いが隠れていたのではないでしょうか。
— 相沢沙呼 (@sakomoko) 2019年1月30日
本作では、始発電車の車内、観覧車の中、ファミレスの一席、といった限られたシチュエーションで切り取られた青春の一風景が描かれていくオムニバス。なんでもない一風景から、よくここまでたくさんのものを拾い上げたものだなと圧倒されました。
— 相沢沙呼 (@sakomoko) 2019年1月30日
相沢先生の一連のツイートがとてもよかったのでぺたぺた。ぼんやりと青春を通り過ぎてきた僕からすると身につまされるものがあります。「なんでもない」風景の中には、十人十色の青春がある。殺風景な写真の中に、密やかに語られる青春の一幕をぜひとも味わってくださいな。