鹿の積ん読

漫画を読んだり、小説を読んだり。好きなものの話をします

逃避行、片道五分(志村貴子「娘の家出」)

 恥ずかしながら志村貴子先生の作品を読んだのは初めてでして。「娘の家出」、とっても良かったです。部屋の隅で埃をかぶっている青い花敷居の住人を早く読まなければ……

 

  

 

 いきなり親の離婚やら同性愛やら浮気やらなかなかハードな家庭環境が続く本作ですが、これらの諸問題を「まあそういうこともあるよね」と言わんばかりにさらりと描写していくのにまず驚きました。「チーム離婚」を堂々と自称したり、女子高生グループってシリアスに向いてませんよね。良いことだと思います。

 実際、こういう事情は大なり小なりどこの家にもあるもので、特別なことではないんでしょう。みんなそれぞれ何かを抱えてて、はたから見たら結構ヘビーだなと思うこともしばしばですが、意外と本人にとってはそんなことより目の前の恋路の方がはるかに重要だったり。しかし勿論、他人が出しゃばって「些細なことだろ」なんて言えることではありません。家出なんか一時的なもので、またすぐ家に帰らなければいけない未成年にとって、家庭の崩壊は世界の崩壊とほぼ等しいものごとです。けれど、そんなふうに言えるのだって結局僕らが部外者だからで、つまり何が言いたいかというと、問題の大きさを決めていいのは当事者だけだよなー、と。勝手におおごとにされたくないし、逆に些事だとか言ってっけどお前に何がわかるんだよ? みたいな。うーむ、上手くまとめられませんね。きちんと伝わるだろうか。よそはよそ、うちはうち的な? 正直僕の中でまだうまく消化できてないみたいです。

 と、いろんな事情を抱えた人たちのオムニバスなわけですが、各エピソードの描き方もとても良かったです。生々しく繊細で、かつ、誰しもに寄り添うモノローグがとても優しい。女の子男の子、大人子供、いい人嫌な人。人を表す言葉は実に多種多様で、白黒はっきりせず、ときに矛盾すら抱えながら存在しています。良い人だって浮気をする。嫌な奴にもそれなりの信念がある。当たり前のことですけど、そんな当たり前を肯定することにとても救いを感じるのです。

 正しいことってそんなにえらいの?

  正しくあれ、善良であれ。そうありたいと願うことは尊いことだと思います。僕だってそうありたい。それが弱さの言い換えだとしても、誰も傷つけないでいたい。だけど、そうじゃなくてもきっといい。家出していい。しれっと帰ってきてもいい。まちがいかどうか分かるのはどうせずっと後になってからです。

 

なんで正しくあろうとすることにこだわるの?

少しでもまちがったらいけないの?

だからおまえはつまんねーんだよ

 いろんな人のいろんな面が万華鏡のように輝く素敵な作品でした。

……かつてないほどしっちゃかめっちゃかな 感想になってしまいましたがぜひ読んでみてください。面白いので。